はじめに
前回のあらすじ。
大学を卒業して化学メーカーに就職した私は、フラスコレベルの手法を工場設備でも対応可能とするためのスケールアップ技術の確立に取り組んだ。初めての実機試作で私の前に立ちはだかったのは200℃以上の高温を要するUllman反応(N-アリール化)。慣れない現場に悪戦苦闘しながらも、最難関のN-アリール化反応を成功させた。
現場に漂う強烈な刺激臭
2日目からは場所を第2工場に移して試作が続行された。
第2工程は第1工程で得られた生成物のホルミル化だ。ホルミル化では毒性が強く、独特の刺激臭を持つリン化合物を使う必要があった。ラボでの実験であればドラフトチャンバーと呼ばれる閉鎖型の排気装置が整っているし、使う量もたかが知れているからまだいい。
一方、工場には閉鎖型の排気装置はない。排気能力の低い吸引ダクトがあるだけだ。こういう設備の違いもスケールアップの際の検討事項となる。頼りない吸引ダクトで申し訳程度の排気をしながらリン化合物を滴下した。周囲には強烈な刺激臭が漂い、第2工場からは試作を行っている私達以外、誰もいなくなった。リン化合物を全て滴下し終わった頃には優に3時間が経過していた。
リン化合物の刺激臭という問題はあったものの、ホルミル化の反応自体は問題なく完結した。現場設備を改善する必要性を感じつつも、反応がうまくいったことに安堵した。
こうして試作2日目も無事に終了させることができたのである。
醜い緑色の結晶
試作は3日目に入った。いよいよ最終の第3工程。第2工程で得られた化合物のヒドラゾン化だ。ヒドラゾン化は緩やかな条件の下でも速やかに完結する。ラボでの実験でも一番安定していた反応だ。
「ここまでくれば、もう大丈夫だ。」
私は手応えを感じていた。もうゴールは目に見えるところまで来ていた。全てが順調に進んでいるはずだった。ところが、安定していたはずの反応がどこかおかしい。
反応状態を確認すると、ラボでの実験の時には存在しなかった化合物のスポットが見える。しばらく反応を続けてみたが、このスポットは消えなかった。嫌な予感がした。
これ以上反応を継続しても状況は変わらないと判断し、反応を停止した。その後、反応液を冷却し、生成物を結晶化させ、その結晶をろ過して取り出した。取り出された結晶を見て、目を背けたくなった。本来、黄色結晶であるはずのヒドラゾンが、無残にも醜い緑色に着色していた。
この結晶を分析したところ、ラボでの実験では見られなかった副生物が生成していることが分かった。そして、この副生物は精製しても取り除くことができなかった。
意外な原因
今まで安定していたヒドラゾン化が突然うまくいかなくなった原因は意外なところにあった。
原料を仕込む順序だ。
工程表では原料Aを仕込んだ後に、原料Bを仕込むことになっていたにも拘らず、原料Aより先に原料Bを仕込んでしまったのだ。この仕込みミスによって、通常はアルカリ性であるはずの反応液の液性が一瞬だけ酸性になった。このpH条件の違いによってラボでは起こらなかった副反応が起こったのだ。
ラボではあり得ないポカだった。
「こんなミスをしたことは一度もなかったのに…。」
第2工程まで順調に進んできたことで心の隙ができたのか。現場の圧倒的なスケール感やスピード感に飲まれてしまったのか。いくら考えてもわからなかった。
こうして私の初試作は大失敗に終わったのである。
(つづく)
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