はじめに
特許業界に転職してから20年が経ちました!
全ては20年前の7月1日に始まった
昨日、7月1日はヤマダにとっても特別な日でした。
化学メーカーを退職して、特許事務所に入った日。
言い換えれば、特許の仕事を始めた日。
それが、平成8年の7月1日でした。
そう。昨日で、特許業界デビュー20周年です(笑)
研究室のメンバーはみんな研究の道に進むことを考えていた
大学生の頃は、特許なんて全く興味はありませんでした。
有機化学(有機合成)の研究室にいて、毎日、フラスコを振って実験を繰り返していました。
「自分は社会人になっても、ずっとこの仕事を続けて行くんだろう。」
そう思っていました。
研究室の他のメンバーもその殆どが、
● 大学で研究を続ける
● メーカーに入って研究職につく
どちらかの道を考えていたはずです。
でも、一人だけ違う考えを持っていた人が…
ただ、たった一人。
全く違う考えの男がいたんです。それは関西出身のO君。
彼はちょっと変わっていて、
● 公務員試験 ⇒ 特許庁入庁 ⇒ 試験の一部免除で弁理士
という道を目指していました。
「ワイは弁理士になって金稼いだるんやーっ!」
それが彼の口癖でした(笑)
「弁理士」という言葉を聞いたのは、その時が初めてだったと思います。
当時は、
● 弁理士は特許に関わる仕事であること
● 難関の国家資格であること
● 結構なお金を稼いでいる人がいること
をおぼろげにイメージできただけ。
何故、彼が研究の道を捨ててまで弁理士になりたがっているのか、全く理解することができませんでした。
研究職として煮詰まってしまった時、あの言葉が降りてきた!
▲ 化学メーカー勤務時代。研究室で。
大学を卒業後、運良く化学メーカーの研究職として就職することができました。
ただ、研究職の仕事は思っていたよりずっと大変で、なかなか結果が出ないジリジリとした日々が続きました。
色々試してみたけれども、あまりうまくはいきませんでした。
研究職としては、かなり煮詰まった状況でした。
一つの研究にある程度の目処がつき、自分の将来についてボンヤリ考えていた時。
ふと、ある言葉が頭に降りてきました。
「ワイは弁理士になって金稼いだるんやーっ!」
O君のあの言葉でした。
弁理士…。
特許に関わる弁理士なら、自分の技術的な知識を活かした仕事ができるかもしれない。
研究職として一流にはなれそうもないけれど、やっぱり技術やモノづくりに関わっていたい。
モノづくり(技術)に、特許(法律)という新たな柱を加えれば、世の中の役に立てるかもしれない。
そんな思いがあって、化学メーカーを退職し、特許事務所の門を叩いたのです。
あの日から20年
残念ながら、特許業界に入っても順風満帆とはいきませんでした(苦笑)
要領が悪く、うまく仕事をさばけなかったり。
身体を壊して仕事も試験も休まなければならなかったり。
弁理士試験に合格するまで、足掛け15年もかかったり…。
それでも何とか続けてこれたのは、寛容さと根気強さを併せ持つ人達に恵まれたから。
そう思っています。
仕事のスピードの面で問題を抱えていた時に、
「君のいいところは丁寧な仕事なんだから。そこを伸ばしなさい。」
そう励ましてくれた先生。
我流の文章ばかり書いて伸び悩んでいた時期に、
「お前は嫌いだ。自分のことを見ているみたいなんだよ!」
そんな憎まれ口を叩きながら、せっせと案文に赤を入れて指導してくれた先生。
なかなか弁理士試験に合格できず燻っていた頃に、
「ヤマダさんは知識は十分ある。でも、論文の書き方がすごく悪い。」
そう言って弁理士試験合格への道を開いてくれた先生。
そんな周りの人達に支えられて20年。
何とか続けてくることができました。
この先、どこまで続けていけるのか、先のことはわかりません。
それでも、誰かが自分のことを必要としてくれる限り、この仕事を続けていきたい。
そう思っています。
おまけ
ところで、件のO君。
実は弁理士になっていません!
今も特許庁で働いているんですよね。
特許庁の方が居心地がいいみたいですよ(笑)
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