中小企業専門・クロスリンク特許事務所(東京都中央区銀座)の代表弁理士・山田龍也(@sweetsbenrishi)です。
2011年(平成23年)4月13日。私が弁理士登録をされた日です。言ってみれば、「弁理士・山田龍也」の誕生日です。弁理士試験の受験生時代、弁理士になった後の8年間を振り返ってみました。
弁理士試験に合格するまでなんと15年!
お恥ずかしい話ですが、私は弁理士試験に合格するまでなんと15年もかかりました。
オギャーと生まれた赤ちゃんが高校に入学してしまうくらいの年月です。当時、合格者の平均受験回数が5回程度。それに対し、私は平成8年から受け始めて合格した平成22年まで14回も試験を受けています。(平成13年だけ体調不良で受験せず)
平均的な受験生の3倍の時間をかけて合格したということです。かなりカッコ悪いエピソードですよね。でも、弁理士試験に15年もしがみついている人もなかなかいないんじゃないですか?5年やってダメなら諦めますよ、普通は(笑)自分には才能がないんだ、別の道を探そうってなるじゃないですか。
でも、落ちても落ちても、全く止めようとは思いませんでした。執念というわけではないんです。何故か、自分は弁理士になるべき人間だと思い込んでいたんですよね(笑)自分は他の誰よりもこの仕事に向いていると思い込んでいました。だから、自分が続けられる範囲で受験を続けていれば、いつかチャンスは来る。そう信じていたんです。
他の受験生は「一刻も早く合格したい!」とがむしゃらに勉強するでしょう?でもそんな中で、ゆるーい受験生生活。一度、体を壊したこともあって、無理のない範囲で続けていこうと決めていました。
弁理士試験の合格の鍵は法律知識ではなく論文の書き方だった
一次試験(短答式筆記試験。いわゆるマークシート試験)には合格するものの、二次試験(論文筆記式試験)で撃沈を繰り返していた私。「受験ヴェテ(受験生のベテラン)」なんて、有り難くない称号を付けられたりしてね。
でも、そんな私に転機が訪れました。ずーっと通っていた資格試験予備校のゼミの先生が変わったんです。その先生は弁理士試験に1年で合格していました。いわゆる一発合格のすごい人。
その先生に言われたのは、
「ヤマダさんは私よりずっと知識があります。でも、論文の書き方がすごく悪い。」
ということでした。衝撃的でしたね。
論文は得意だと思っていましたから。でも、よくよく考えれば、合格できてないんだから得意なわけないじゃないですか(笑)意外に本人はそういうところに気が付かないんです。
私が勘違いした原因は、他の人ができないマニアックな問題は飛び抜けて良い点を取っていたから。「自分はすごい論文を書ける!」と自分の実力を過信していたんですね。
でも逆に、受験生の大多数が確実に得点を取れる基本問題、サービス問題をボロボロ落としている。これだと受からないですよ。
そこから、1年間は法律知識のインプットを止めて、論文の書き方だけを勉強しました。皆が得点源としている基本問題で確実に点を取れるようにトレーニングをしました。そうしたら、合格することができました。
弁理士試験で学んだことは法律でも何でもありません。
- 筋の悪い努力は報われない
- 知識がなくても、頭が悪くても、正しいやり方で取り組めば結果は出る
- でも、自分で分析するのは難しいから、客観的な視点を持った専門家にアドバイスしてもらう
ということでした。
独学だとなかなか早期に合格するのは難しいですね。予備校をいかにうまく使えるかがポイントです。
オススメしたいのはゼミです。講座より講師の先生との距離感も近く、短期間で効果を得られる可能性があります。
勤務弁理士としての4年、所長弁理士としての4年
弁理士登録をした後、4年弱は事務所勤務の弁理士をしていました。
当時のお客様からは、
「漸く、ヤマダさんにふさわしい肩書が付きましたね。」
と、喜んでもらえました。
でも、今振り返ってみると、弁理士になったからと言って何かが劇的に変わったわけではなかったですね。私の場合、資格取得前も特許事務所に15年程勤務していました。
ボスから与えられた仕事をこなす。特許の出願書類の作成をしたり、特許庁審査官とやり取りをする。そういう部分では殆ど変化はありません。今までの延長線上で仕事をしている感じでした。
やはり、弁理士資格を実感するようになったのは独立した後、所長弁理士となった後です。事務所の代表として外部に出ていくことで相手の方の見方も変わるわけです。勤務時代は対外的な顔、事務所の看板はあくまで所長。たとえ弁理士であっても、お客様から見ればその手下にすぎないんですよ。
事務所勤務時代に、とある弁理士の先生から、こんなことを言われました。
「ヤマダさんは●●先生(当時の所長)のおかげで仕事をできているんだろ?」
「あんたは自分の看板で仕事をできるか?」
その先生は何気なく言った言葉なんだと思います。でも、この言葉を聞いて、思い知らされたんですよね。いくらお客様から自分が信頼されているように見えても、それは事務所の看板があるからなんだ、と。
この先生の言葉を聞くまで「独立」なんて考えたこともありませんでした。でも、この言葉を聞いてから、
「自分の看板で仕事をしたい」
「独立して自分の力でやってみたい」
という気持ちがむくむくと頭をもたげてきました。そして、この言葉を聞いてから1週間も経たないうちに独立することを心に決めたのです。何の準備もない。成功する確信も持てない。そんな状態で独立開業して、現在に至ります。
勤務弁理士として4年、所長弁理士として4年過ごしてきました。期間はほぼ同じ。でも、やっぱり、後半の4年間の方が濃い時間を過ごしているように感じます。成功も失敗も全て自分で背負ってやってきたから。
弁理士の資格だけで食っていける程、世の中は甘くないです。でも、自分らしく生きていくチャンスをくれたこの資格には感謝しています。
まとめ
ということで、弁理士生活9年目に入りました。
勤務弁理士として4年、所長弁理士として4年。4年サイクルですね。次はどういう4年にしましょうか。元号も変わりますから、新しいことに取り組んでいきます。今までの弁理士・特許事務所ではできない斬新な取り組みをしていきたいですね。乞うご期待!