別れは突然に…

父が逝きました。

昭和9年生まれ、87歳。最近、食が細くなり、足腰も弱ってはいたようです。それでも、杖など使うことなく、自分の足でしっかりと歩いていました。大きな持病も抱えていませんでした。

ところが、一昨日、風呂に入っている時に何かしらのアクシデントがあったんでしょうね。湯船の中に転倒。そのまま命を落としました。人生なんて、あっけないものですね。

その日の夜21時前、母から着信があったんです。でも、21時からコミュニティ向けに動画を配信する準備をしていた私は電話を取りませんでした。そして、配信が終わった後の22時前。再び、母から電話が。ただならぬ雰囲気を感じ、電話を取ると、母は「お父さんが…」と言ったきり泣くばかり。

その電話は病院からでした。発見した母が慌てて救急車を呼び、病院に担ぎ込んだものの、既に時遅し。命の灯は消えていたということです。レントゲン写真では肺が真っ白だったので、おそらく溺死だと思います。倒れた時に多量の水を飲んでしまったのでしょうね。

それから私も南千住の自宅から戸塚の病院へ。病院に着いたのは日が変わる頃でした。父は穏やかな顔で横たわっていました。まるで布団の中で休んでいる時のように。あまりに突然で、現実のものとは思えず、悲しいという感情すら湧いてきませんでした。

その後、実家に戻り、警察の現場検証。6-7人の警察官が家に入り、現場を検証したり、母から事故当時の状況を聴取したりしていました。終わったのは夜中の2時頃。あまりにあっけなかった父の最後について母から話を聞き、妹と3人で、今後しなければならないことについて話し合いました。

その後、妹は一旦自宅へ。私は父が命を落とした風呂に入る気にもならず、3時半頃にそのまま寝床に就きました。翌日は葬儀社に葬儀のことを相談に。色々と話し合った結果、極力簡素に、家族だけで父を見送ることにしました。今は火葬場が混んでいるらしく、葬儀は週明けになりそうです。

短い間に色々なことが起こりすぎて、心身ともにぐったり。でも、ただの気疲れだと思うので、そのうち回復するでしょう。しばらくは、バタバタすると思いますが、妹と一緒に母のサポートをしていこうと思っています。

話は変わりますが、私の知る限り、父の人生はあまり恵まれたものではなかったように見えます。

中学を出て、すぐに地元の町工場に就職。金属加工の職人として旋盤を操っていました。昭和初期、コンピュータ制御の旋盤などなかった頃。指先の感覚だけを頼りに、ミクロンレベルの精度で金属部品を削っていました。手先が器用で、腕の良い職人でした。

私が子供の頃、予選を通過し、書初大会に出場することになった時に、文鎮を作ってくれたことがありました。材質はステンレス。表面にはつや消し加工が施され、角の部分は丁寧に面取りされていました。出来上がった文鎮を見て、「この人は素晴らしい職人なんだ」と思ったのを覚えています。

でも、子供ながらに、この人は腕に見合った評価を受けてないよな、とも思っていました。もっと評価されてしかるべきだと。今、特許の仕事をしていて同じことを感じる時があります。良い商品なのに売れないとか、良い技術なのに評価されないとかね。そういう人たちの助けになれる仕事をしたいんですよね。

残念なことに、私は父の手先の器用さを受け継ぐことができませんでした。不器用で要領も悪い(苦笑)でもね。父の職人魂だけは引き継ぎたいんですよ。神は細部に宿る。こだわってこだわってこだわって。良い仕事をしたいですね。

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