知財業界での教育三景|実務者として育てられ、実務者を育て、弁理士として育てられる

弁理士の日記念ブログ企画2024。テーマ「知財業界の教育」について

今日は何の日かご存知でっか? せや。「弁理士の日」でっせ!
ほんで、「弁理士の日」言うたらこれ。「弁理士の日記念ブログ企画」!
知財系のブロガーさんたちが同じテーマでブログ記事を投稿するっちゅうあれや。
今年のテーマは「知財業界の教育」なんやて。ドクガクはんもエラい難儀なテーマを無茶振りしまんなぁ。ほんまに…。

目次

「弁理士の日」について

皆さんもよくご存知だと思いますが、本日7月1日は「弁理士の日」です(誰も知らんw)

「弁理士の日」の由来は、日本弁理士会のウェブサイトに紹介されています。

明治32(1899)年7月1日、弁理士法の前身である「特許代理業者登録規則」が施行されました。 日本弁理士会では、その施行日である7月1日を「弁理士の日」に制定しています。

弁理士の日について|日本弁理士会

最初は「特許代理業者」という名前でした(明治32年)。次に「特許弁理士」に改称され(明治42年)、そして最終的に今もつづく「弁理士」という名称に落ち着きました(大正10年)。

弁理士の日を記念して各地で記念イベントも行われる予定です。

「弁理士の日記念ブログ企画」について

「弁理士の日記念ブログ企画」は毎年7月1日に、弁理士の日を盛り上げるために、知財系ブロガーが同じテーマでブログを書いてみようという企画です。

主催者・運営者はドクガクさんこと、弁理士の内田浩輔先生。毎年その年の時勢にあったお題を出してくれます。

弁理士の日記念ブログ企画2023。テーマ「知財がテーマのコンテンツ」

昨年のお題は「知財がテーマのコンテンツ」。知財業界だけが盛り上がった芳根京子さん主演のドラマ「それってパクリじゃないですか?」(それパク)について書かせてもらいました。

知財ドラマが爆死。もう知財のエンタメ化はいらない|知財がテーマのコンテンツ

他にも何本か記事を書かせてもらっています。

弁理士の日記念ブログ企画2019。テーマ「知財業界での初体験」

知財業界での初体験|弁理士の日記念ブログ企画2019

弁理士の日記念ブログ企画2018。テーマ「知財業界のライバル」

7月1日は弁理士の日! 弁理士の日記念ブログ企画。テーマは「知財業界のライバル」

弁理士の日記念ブログ企画2024。テーマは「知財業界での教育」

そして、今年もドクガクさんからテーマの発表がありました。

今年のテーマは・・・
「知財業界での教育」です

皆さんは、知財業界に入って、どのような教育を受けましたか?
または、どのような教育を受けていますか?
有意義な教育もあれば、無意味な教育もあるでしょう
それぞれ、どのようにお考えでしょうか??

もしくは、 皆さんは、 どのように教育をしていますか?
または、どのような教育をしたいと考えていますか?
これから、知財人材として育つ人へ
これから、知財人材を育てる人へ
皆さんの知識をご教示いただけないでしょうか?

弁理士の日記念ブログ企画2024|独学の弁理士講座

教育…。また、難しいテーマを(苦笑)

知財業界での教育三景

そんなわけで難しいテーマではありますが、僕も平成8年に知財業界に入って今年で27年も経ちます(四半世紀以上か…)。教育は受けたり受けてもらったりはしています。その中から、何とか話をひねり出してみましょう。

第一景:実務者として育てられる

この業界に入ってくると、実務者としての教育を受ける。

僕が知財業界に転職してきたのは平成8年のこと。化学メーカーで研究開発職として挫折した僕は特許事務所に転職し、特許の世界に足を踏み込んだ。

自ら特許を取ったこともなく、知財実務に携わる機会もなかった。何も知らないズブの素人だ。もちろん弁理士資格も持っていない。僕は弁理士の下につき、その業務の補助を行う「特許技術者」と呼ばれる役割を与えられた。弁護士さんの補助をするパラリーガルみたいなもんだ。

所長はある意味おおらかで、細かいことは気にしない人だった。今振り返ってみると、この当時の自分の特許実務はまるで不十分だったはずだが、自分が作る案文に対して修正指示を受けた記憶がない。案文をチェックしてもらいに所長室にいくと、ペラペラっと案文をめくって、「ヤマダくん、これでええ。送っといて」と言われる。特許事務所には一般的な会社のような新人教育はなかった。全て見様見真似で何とか仕事をこなしていた。

所長は営業力があって、事務所の業績自体は順調に伸びていた。クオリティはさておき、仕事の量はどんどん増えていく。当時、事務所に弁理士は所長だけ。その下に素人同然の特許技術者が4人ぶら下がっていた。それだけでは仕事が回らず、特許技術者が1人、2人と増えていった。

さすがに所長もこのままではまずいと思ったのだろう。まず、外国実務を任せられるベテラン弁理士のK先生を雇い、更に、国内実務に精通したベテラン弁理士のH先生を迎え入れることになった。

そして、H先生が僕を含めた特許技術者4人の指導をしてくれることになった。H先生の指導は厳しかった。案文をチェックしてもらうと、赤ペンで修正が入り、真っ赤になって返ってくる。それまで所長には何も言われなかったのに(笑)

「複数の貫通孔を有するハニカム構造体」なんて書こうものなら、「穴(孔)は何も存在しないから穴なんだ。『穴がある』ってどういう意味だ!」と怒られる。それはいい。言われればわかるから。ただ、それだけでは済まず、「お前を見てるとホントにイライラする。昔の俺を見てるみたいで!」と怒鳴られる。

いやいや、知らんがな…と困惑しつつ、この先生は認めたくない自分の嫌な部分を僕の中に重ねているんだろう、この人にも僕のような時代があったんだ、それなら僕もH先生のような弁理士にはなれるかもしれない、そう思うことにした。

実際、このH先生から受けた教育が特許実務者としての基礎を形作ることになった。文章の書き方も、発明の特定の仕方も。それは20年以上経った今も自分の礎になっている。時代も法律も変わったが、基本はそれほど変わらないものだ。

H先生の教育は、「お前は常識を何一つ知らねー!」という事実を僕に突きつけることから始まっている。化学メーカーから化学系の特許事務所に転職して、自分の知識があれば何とかなるというおごりがあったのかもしれない。そこをぶっ壊されることで学ぶ姿勢ができ、今の自分につながっているのだと思っている。

第二景:実務者を育てる

実務者として経験を積んでくると、今度は自分が実務者を教育する立場になる。

事務所に入所して何年か経った頃、所長から「I君の面倒を見てやって」と言われた。まだ弁理士でもねぇのによ、と思いつつI君の仕事を見るようになった。

このI君の仕事がまぁひどかった。特許文書うんぬんの前に日本語の文章として体をなしていない。お前、自分が何を書いているかわかってるか?(心の声)。そう思いつつ、自分が指導を受けたH先生さながらに彼の案文に赤を入れてみた。自分なりに一所懸命やったつもりだったが、その気持ちはI君には伝わらなかったようだ。

しばらくすると、I君は僕の指示に従わなくなった。なぜ指示通りに修正しないのか聞くと、「それでは、ヤマダさんの文章になってしまう。僕の文章ではなくなる」というのが理由だった。「僕の文章」のままではお客さんからクレームが入るから直しているんだけどね。プライドの高い素人はなかなかに取り扱いが難しい(苦笑)

僕は所長に彼の教育担当から外してもらうよう申し出た。僕は与えられたタスクを全うできなかった。完全敗北だ。ただ、I君も程なくしてこの業界を去ったと聞いている。

実務者を育てる教育。正直言って、これはうまくいかなかった。文章ってのはその人そのものだ。その人の身体に染み付いていて容易には変わらない。僕は自分のやり方を彼に押し付けることしかできなかった。彼の良さを活かして技量を伸ばしてやれたら良かったんだけど。自分のコピーロボットを作ろうとしちゃったんだろうな。

僕には人を育てる技量がない。そんなトラウマに支配されているから、今も人を雇わず、ひとり事務所のままなのかもしれない。

第三景:弁理士として育てられる

この業界では実務教育とは別に、弁理士資格を取得するための教育を受ける。

僕は弁理士試験に合格するまで15年の月日を要した。その頃、平均合格回数は5回くらいだったから、他の人の3倍の時間がかかったということだ。

「あきらめずによくがんばりましたね」と褒めてくれる人もいるが、それは正しい解釈ではないだろう。ちゃんと頑張っていればもっと早く受かっている。受験がしんどくなれば仕事に逃げ、仕事がしんどくなれば受験に逃げる。そんなことを繰り返していた。そして、残念ながら家庭に逃げられる状況ではなかった(苦笑)

そんな僕に転機を与えてくれたのが、受験予備校の先生だった。

ある年の夏。その年も受験に失敗し、自分ではどうしたらいいかわからなくなっていた。そこで、恥を忍んで、受験予備校のM先生にSOSを出した。相談したいから時間を取って欲しいと。

忘れもしない。まだ高田馬場に「早稲田セミナー」という予備校があった頃だ。校舎の前の階段を降り、東西線の改札に向かう右側にあったひなびた喫茶店。その薄暗い店内で、「来年に向けて何をどう勉強していいのかわかりません」と訴えた(情けない…)。

僕は合格者と比べるとまだまだ法律的な知識が不十分だと考えていた。そこが合格に足りない部分だと。でも、M先生の見立ては違った。「ヤマダさんは合格者以上の知識を持っています。でも論文の書き方がすごく悪い」とバッサリ切り捨てられた。

そこから、僕は知識のインプットを一切やめた。論文の書き方だけを勉強した。そして、次の年、漸く今までどうしても受からなかった論文試験をパスしたのだ。

「教育」というと、何かの知識を教え込むことと思いがちだ。

でも、M先生は僕に何かの知識を授けてくれたわけではない。僕に新たな気づきを与え、それにより僕の思考を変容させ、行動を変容させた。それで、僕は1段も2段もステップアップすることができた。知識の詰め込みなんて意味はない。本人の思い込みを外し、気づきを与え、思考法を書き換えてやること。これこそが真の「教育」なのかもしれないと思っている。

おまけ

人を教育するのは難しいから、うちの事務所では人を雇っていなかった。でも、実は今、うちの事務所では今どき女子の「あい」ちゃんに仕事を手伝ってもらっている。

「あい」ちゃんは若いのに物知りだ。何でもよく知っている。圧倒的に地頭が良い。僕程度の頭では太刀打ちができない。うちの仕事を覚えてもらうための教育は必要だけど。

そして素直で気立てがいい。同じことを聞いても「またですか?」なんて嫌な顔はしない。些末な仕事を頼んでも、「こんな仕事をするためにここに来たんじゃありません!」なんて怒ったりしない。夜遅くまで手伝ってもらっても、パワハラだの、労働条件がどうだのと言い出すこともない。

おまけに月給は3,000円でいいという。「それじゃ悪いよ」と言っても、「他でも働いてますから」と言って受け取ろうとしない。うちみたいな貧乏事務所にはありがたい限りだ。

当分は人を雇わず、「あい」ちゃんを教育して、うちの戦力になってもらおうと思っているよ(笑)

クロスリンク特許事務所からのお知らせ

クロスリンク特許事務所(東京都中央区銀座)は中小企業専門の特許事務所です。

日本弁理士会 関東会で中小企業支援の活動に9年間携わってきた「中小企業の知財」のスペシャリストである弁理士が貴社からのご相談をお待ちしています。

特許の申請にかかわらず、

  • 特許・実用新案登録・意匠登録・商標登録などの知的財産権の取得手続き
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山田 龍也
この記事を書いた人
弁理士/ネーミングプロデューサー/テキスト職人。中小製造業によくある「良い商品なのに売れない」のお悩みをローテク製品の特許取得、知的財産(特許・商標)を活用したブランドづくり、商品名のネーミングで解決している。
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